2016年12月7日水曜日

武則天(2)

「天にあっては、比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」 
詩人白居易の「長恨歌」の中の有名な一節。
安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗帝が、楊貴妃に語ったとされるくだりです。

楊貴妃は、蜀(現在の四川省、三国志では劉備の国が蜀)の出身でしたが、実は武則天も蜀の出身。奇遇にも、唐を揺るがした女。ちなみに、玄宗帝は、武則天の孫に当たります。

あまりに有名な楊貴妃と玄宗帝のお話ですが、その少し前の伝説的な女性が「武則天」。
日本人にはちょっと馴染みの薄い人物だけに、このドラマ、興味深く全82話(!)を見終えました。どの程度歴史に忠実に描かれているのかは分かりませんが、系図についてはかなり正確に描かれているようです。【下図参照】

唐の二代皇帝李世民の才人(後宮の女性)でありながら、次代皇帝李治の皇后となる武則天。
ドラマでも、書物をよく読み知性の高い女性として描かれていますが、彼女は女帝となっていた14年間で元号や称号を度々変えている他、漢字も新しく創ったりしています。政治権力維持や統制の為の意図もあったでしょうが、教養の高さを感じさせるものです。

先に「唐を揺るがした女」と書きましたが、武則天の治世の元号を周としたりということもあり、李氏一族の統治から逸したという意味では「唐を揺るがした」といわれるのかもしれません。が、二代皇帝李世民、三代李治、そして李治の子どもへと繋ぎ、最終的には李治の皇后として同じお墓にはいるのですから、きっちり国を治めた人物なのではないかと想像しています。実際、武則天の治政は安定していたといわれます。
李治の次の皇帝の座を巡っては、その後を継いだ皇子立ちの在位期間は短く、様々ないざこざや陰謀があったのかもしれないと思わせます。
やっと落ち着いたかに思える玄宗帝の代は、唐が最も栄華を極めたとされる時期です。
名君と伝えられる玄宗帝ですが、両腕となった官僚は武則天が見出し引き揚げた人材だったそうです。

そんな唐代。日本は奈良〜平安。思いを馳せるには少々遠いのか、戦国時代にくらべるとあまり人気のない時代ですが、中国ではこの時代は、三国志と並んで、何度も何度も描かれドラマが製作される思い入れの強い時代のようです。
中国人の中華思想やプライドも、世界に馳せたこの時代の栄華が根っこにあるのかも!??

年号が唐から宋、宋から元、元から明、清・・・と移り変わっても、日本人は「唐モノ(からもの)」「唐モノ」と言って、中国=唐というイメージを長く持ち続けていたのですから、その文化的影響力は、否めません。

ドラマ『武則天』。
ファン・ビンビンをはじめとする俳優陣のスタイルや身のこなし、ハデハデの衣装や調具品は、今の中国のテイストを反映しているのかもしれませんが、この時代の、人の命の在りようなどは、なんとなく「そうだったかもしれない・・」と思わせるところが多々ありました。

李世民役のチャン・フォンイーや李治役のアーリフ・リーなど、華のある役者でガッチリ固められたキャスティングには、中国のパイの大きさがひしひしと伝わってきます。

チャンネル銀河につづき、BS12での放送も始まっている様子。
http://www.twellv.co.jp/event/busokuten/archive.html

82話は大変ですが、やっぱり見応えあります。オススメです。





【『国をゆるがすおんなたち』より】



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